■DEEPSTATE〜自民党の総裁選は、日米のディープステートに選ばれた小泉進次郎(田布施の血流)か、愛国者の高市早苗か、どちらが首相になるか?

■DEEPSTATE〜自民党の総裁選は、日米のディープステートに選ばれた小泉進次郎(田布施の血流)か、愛国者の高市早苗か、どちらが首相になるか?

本「日本のいちばん醜い日」は興味深い。

■Fuji:

まいど~京都侍の富士です。

総裁選が3日後に迫った。

■Alps:

結果がどうなるか楽しみだね。

■Fuji:

高市さんは、腐った自民党の、火中の栗を食うのか?

或いは、小泉進次郎が総裁選に勝利して、反ディープステートのトランプ陣営からムチ打たれて日欧米ディープステートが転がり落ちるところをみてみたい気もする(^^)

小泉進次郎の家系に関係する、面白い本がある。

鬼塚英昭氏の本「日本のいちばん醜い日」だよ。

https://amzn.to/4pOVswz

■Alps:

どんな感じ?

■Fuji:

その本のレビューの一部がわかりやすいから紹介する。

「また、小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。 鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。 小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。 小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。 ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。 例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。」

つまり、小泉進次郎はアメリカのディープステートに選ばれた朝鮮人の政治家だといえる。

■Alps:

へぇ~。小泉家の人々がテレビに出てくる理由は、小泉進次郎も朝鮮人のディープステートですか。

総裁選で、小泉進次郎の、やらせ疑惑があるけど大丈夫かね?

👉️総裁選“やらせ投稿”問題 「“小泉人気”作られたものと疑惑生まれる」「民意損なう問題行為」と指摘も【Nスタ解説】|TBS NEWS DIG

1万 回視聴 · 2 時間前

■Fuji:

最近のテレビは、自民党に人気がなくなった「自民党はなぜ嫌われたのか?」と、正直に報道。

■Alps:

ちなみに平野雨龍さんがYouTubeで中国や朝鮮人だらけの自民党を指摘している。

👉️平野雨龍が暴露!中国から帰化し、日本で政治に参戦する5名の中国帰化一世情

55万 回視聴 · 4 か月前.

■Fuji:

朝鮮人でも京都などにいい人はたくさんいる。

しかし、小泉氏はトランプ大統領に相手にされなさそう。

➡日本の大きなリスクになる。

問題は、そういう朝鮮人を、アメリカのディープステートが政治家に選んで、自民党や統一教会を作って政治利用してきたこと。

【“統一教会”】韓鶴子総裁を逮捕、独房に…

■Alps:

統一教会の総裁は逮捕されたね。

日本も、デモが増えた。

・厚生労働省 解体デモ

・財務省 解体デモ

【LIVE】財務省解体・厚労省解体パレードデモ&抗議街宣演説会|決戦の昭和100年 第4次国民運動(2025年4月29日)

■Fuji:

竹中平蔵も、小泉進次郎親子と同じ朝鮮人で、ディープステートの人だとわかる良い本もある。後日、紹介します。

■Alps:

とにかく、小泉、竹中はディープステートの広告塔。

日本人をバカにしとる。

■Fuji:

今、トランプ大統領は、ディープステートを解体するためにガンバっておられる。

本日、2025.10.1に、アメリカ政府は一部閉鎖された。

ドルの通貨発行権は、イギリス・EUのディープステート財閥(ロスチャイルド家など悪魔の13血流といわれるイエズス会、イルミナティ)にあり、アメリカにはない。

➡アメリカ政府はドルを発行できないので閉鎖。

ちなみに日本政府は、独自に円を発行できるので、アメリカ政府のようには破綻しないと言える。

➡日本は破たんするという日本の財務省は解体するべきだ。

話を戻せば、トランプのアメリカ政府は、その巨大な輸入赤字を埋めるため、外国の関税を増やしたと言える。仕方ないだろう。

だから、トランプはディープステートを解体したい。

➡ドルの代わりに、アルトコインとかトランプコインなどの、仮想通貨の時代になりそうだ。

最後に、鬼塚さんの本の上記レビューの全体をコピーさせていただく。今後の参考になると思うので。

  • 5つ星のうち5.0
  •  日本国家の真相は明治維新でユダヤ国際金融権力をバックにした長州藩の田布施一味(朝鮮人系統)に国家を乗っ取られ、「万世一系」ではない天皇家は仮説の第4王朝(大室または毛利王朝?)に乗っ取られている。
    2015年11月7日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
     本書は589ページもある分厚い本なので読むのに疲れるが、天皇主義者及び反天皇制論者ともに、全員必読の良書です。 鬼塚氏は、「秩父宮」が2・26事件の策を練り、終戦時の皇居内で発生した近衛連隊による玉音版強奪計画(8・15宮城事件)は「三笠宮」が策を練り、どちらも巧妙な偽装クーデターだと断言している、大胆な推理が本書の前半部分の内容です。
     そして本書全体を通して、日本国家の真相は、明治維新でユダヤ国際金融権力をバックにした長州藩の田布施一味(朝鮮人部落)に国家を乗っ取られたということであることが解る。
     長州藩の田布施一味とは山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。 熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
     大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。 むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
     また、小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。 鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。 小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。 小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
     ユダヤ国際金融権力(=日英米中ディープステートという偽ユダヤ人のこと)は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。 ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。 例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。 本書に益田勝実氏の文章が引用されている。
     「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。 尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。 かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。 奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。 もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。 志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。 今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。」(益田勝実『天皇史の一面』より)
     益田勝実は長州の国家老一族である。 だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。 その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、大室寅之祐が山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。
     本書によれば、大室寅之祐は田布施の生まれ、伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。 また宮本顕治(日本共産党)も一族。 そして、木戸幸一も系図に入ってくる。 京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。 そして、大室寅之祐の生家の近くに岸信介一族の生家もある。 この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。 また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。 あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之祐の生家の近くである。
     大室寅之祐が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。 むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。 「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。
    明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

     現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。
     安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。 それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
     明治天皇とその取り巻きがなにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は鹿児島の朝鮮人部落出身である。 本名は朴茂徳である。 鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
     だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。 東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
     東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。
     安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。 言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。 権力者にとっては重要なポジションである。これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。
    さらに、鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。
     阿
  • 南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。 大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。 この辺りは家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。 つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。
     こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。 つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。 また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。 権力者どもにとっては同族だからだ。 わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。
     総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。
     こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。 冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。

     さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。 ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。
     現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。 生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。 昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。
     「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。
     昭和天皇は西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。 西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。 大正天皇とは学習院で同級生だった。 その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。 それを鬼塚氏は詳細に検証していく。 そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。 みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)
     鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。 どちらのクーデターもヤラセだった。
     貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。 秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。 貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。 中国か朝鮮出身であろう。 朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。 千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。 朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。 この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。
    本書の中にある皇室関係の秘めごと・裏話をザッと列挙すると、
    ▼孝明天皇と睦仁親王は暗殺されている。
    ▼明治天皇はすり替えられており、睦仁親王ではなく「大室寅之祐」である。
    ▼昭和天皇の実父は大正帝にあらず。昭和天皇は長州藩毛利家から西園寺家へ婿養子の西
    園寺八郎の子、又は明治天皇の子である。
    ▼昭和天皇生母である「貞明皇后」の本名は「朱貞明」で、中国または朝鮮系。
    ▼貞明皇后は「秩父宮」を溺愛し、秩父宮の父親は東久邇宮 稔彦王である。
    ▼スイス銀行の秘密口座には日本皇室の莫大な財産がある。
     天皇はスイス国立銀行に「特別勘定口座」をつくり、天皇の資産は国際決済銀行の秘密口座を通じて運用。公的な二口座と天皇名と皇后名の二口座が確認されている。
    ▼その財産形成の原資は、支那大陸におけるアヘン密造である。
    ▼昭和天皇と秩父宮の葛藤が二・二六事件を生む。
    ▼昭和天皇は「軍部の操り人形」などではなく、昭和の大本営は「宮中」に置かれ、昭和天皇中心に図上演習が度々行なわれていた。これは昭和天皇戦争責任論が浮上する。

     ところで、古代から近現代までの日本歴史を俯瞰すると、天皇家の男系男子皇統継承は神武天皇即位以降に、傍系の武内宿禰の皇位簒奪、「大化の改新」での百済系王族の皇位簒奪、南北朝統一後の足利義満の皇位簒奪、裏切られた3人の天皇の明治維新等の歴史上の大きな影響を受けており、Y染色体DNA 所謂 男系男子継承の観点から、本書その他の説をベースに、「万世一系ではない天皇家出自の推移;仮説」を提案するので、今後の購読者の参考になれば幸いです。

    <万世一系ではない天皇家出自の推移;仮説>
    (1) 第1王朝(倭人王朝;古代北イスラエル国王家エフライム族Y染色体DNAの倭人系末裔) 神武天皇~~孝元天皇~武内宿禰→応神天皇~~継体天皇~~推古天皇
    ▼原田常治著「古代日本正史」「上代日本正史」によれば、高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)の長男・沸流が建国した沸流国滅亡で国王・布都一族が出雲に渡来し、子孫の素盞嗚尊が出雲国建国する。素盞嗚尊と大日霊女貴尊(卑弥呼)の末子で倭国(邪馬台国)相続人熊野楠日尊(鵜草葺不合尊)の末子で倭国(邪馬台国)相続人磐余彦尊が、素盞嗚尊第5子饒速日尊の大和「日本」国の末子相続人伊須気余理比売に婿入りして大和「日本」国と倭国(邪馬台国)の統合による「大和朝廷」が辛酉の年(AD 241)に成立し、素盞嗚尊孫の磐余彦尊が「神武天皇」即位する。
     素盞嗚尊は高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)→満州の北扶余国王 解慕漱(ヘモス)・解夫婁(ヘブル)→古代北イスラエル王国王家エフライム族に繋がるが、神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」は、ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーク氏によると、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを証明している。
    ▼孝元天皇曾孫の武内宿禰が、神功皇后との御子である誉田別王を擁して九州で旗揚げして大和へ攻め上がり、仲哀天皇の御子である香坂王と忍熊王を滅ぼし、皇位簒奪して誉田別王を応神天皇即位させた。

    (2) 第2王朝 [百済王朝;古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系末裔]
    (百済・武王;舒明天皇)~天智天皇(百済系)~桓武天皇(百済系)~~後亀山天皇
    ▼中丸薫著「古代天皇家と日本正史」による飛鳥~奈良時代の百済・新羅系王朝の例
    在位年   代・天皇名    天皇の出自                  大臣の出自等
    629-641 34代・舒明天皇 百済・武王本人              藤原鎌足;百済の大佐平  
    642-645 35代・皇極天皇 百済・武王妃の宝の本人        (太政大臣) 智積(614-669)
    645-654 36代・孝徳天皇 百済・義慈王本人        
    655-661 37代・斉明天皇 百済・武王妃の宝の本人(重祚)
    662-671 38代・天智天皇 百済皇子・翹岐(百済・武王の子)  藤原鎌足の子・不比等
    672-672 39代・弘文天皇 百済皇子・翹岐の子の大友皇子     (659-720)
    673-686 40代・天武天皇 高句麗・蓋蘇文(大莫離支)本人   天武天皇が国史編纂を指示
    690-697 41代・持統天皇 高市皇子(天智天皇の子)
    697-707 42代・文武天皇 新羅・文武大王(天武天皇の子)
    707-715 43代・元明天皇 百済皇子・翹岐(天智)の皇女     古事記完成(712年)
    715-724 44代・元正天皇 百済皇子・翹岐(天智)の孫娘     日本書紀完成(720年)
    ▼高句麗の東明聖王(朱蒙;扶余氏)次男の百済始祖王・温祚(オンソ)は、満州の北扶余国王 解慕漱(ヘモス)・解夫婁(ヘブル)→古代北イスラエル王国王家エフライム族に繋がる。従って、舒明天皇(百済・武王)が百済始祖王・温祚に繋がれば、天智天皇孫の桓武天皇も古代北イスラエル王国王家エフライム族に繋がる。
    ▼百済王子出自の天智・天武天皇が大化の改新(645)で第1王朝(倭人王朝)を倒し、百済滅亡(660)・白村江の敗戦(663)・高句麗滅亡(668)により、多くの百済王族・高句麗王族・貴族等が日本に亡命し、天智天皇孫の桓武天皇が第2王朝 [百済王朝;古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系]を確立する。
    ▼歴代天皇の中で桓武天皇のみ煌びやかな衣装と王冠の肖像画、桓武天皇は平安京遷都に際し、イスラエル人が一貫して行っていた「旧約聖書」の「創世記」から登場する儀式の燔祭(ハンサイ;主に羊などの動物を祭壇で灰になるまで焼いて神に捧げる儀式)を行い、更に、エルサレムはへブル語で「平安な都」の意味、つまり平安京である。
     桓武天皇の時またはその前に、ダビデの血をひくユダ族の秦氏の血が天皇家に入ってイスラエルとユダの統一王家が実現したので、秦氏は古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)再興であるエルサレム城の平安京建設と、ソロモン第3神殿の伊勢神宮建設に邁進したと思われる。つまり、平安京、特に京都御所は、古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)再興の証であるエルサレム城であり、伊勢神宮はソロモン第3神殿である。ちなみに、伊勢神宮の内宮には新約聖書のイエス・キリスト、外宮には旧約聖書の唯一神ヤハウエが祀られている。 そしてこの時に、イスラエルとユダの統一王家実現を記念して、獅子とユニコーンが盾を左右から支え、その盾の上に王冠がのっている天皇の王冠「イスラエルとユダの統一紋章」が製作されたと思われる(ノーマン・マックレオド著「日本固有文明の謎はユダヤで解ける」)。

    (3) 第3王朝 [足利王朝;古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系末裔]
    足利義満(第56代清和天皇末裔で足利尊氏の孫;鹿苑院太上天皇)→伏見宮貞成親王(後崇光院太上天皇)→後花園天皇~~孝明天皇
                      ┌貞成親王(後崇光院太上天皇)─(102)後花園天皇・・・
                      ├(100)後小松天皇─(101)称光天皇
    足利義満(鹿苑院太上天皇)┼義持(4代将軍)
                      ├義嗣
                      └義教(6代将軍)
    伏見宮家系図   註 (N3)は北朝の、(F1)等は伏見宮家の代数
    (N3)崇光天皇─(F1)伏見宮栄仁親王┬(F2)治仁王
                            ├僧(法親王)- 僧(法親王)- 僧(法親王)
                            └(F3)後崇光院(貞成親王)┬(102)後花園天皇
                                             └(F4)貞常親王・・・
     ブログ帝国電網省「歴史再考」の「北朝は滅亡していた!!南北朝秘史-其の壹-(1997.11.15)」
    のネット情報によれば、足利義満は後円融天皇の皇妃・通陽門院を犯し、生まれたのが後小松天皇だった。後円融天皇の全ての后妃を足利義満に犯された訳ですから、後円融天皇の血を引く者はおらず、後円融天皇の系統は、その死をもって「断絶」した。
     足利義満が、子の貞成親王を使って伏見宮家を乗っ取り、その子を後花園天皇として即位させた。この血統が孝明天皇まで継続する。つまり、北朝は後円融天皇の系統も、伏見宮家も、全て、足利義満によって滅ぼされたのです。それ以後の「北朝」系は、足利義満の血を引く者が継承し、天皇家は足利王朝となった。ところで足利義満は第56代清和天皇末裔の足利尊氏の孫なので、仮説の第3王朝の足利王朝は、仮説の第2王朝である古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系末裔でもある。
     ところで、伏見宮貞成親王の尊称;後崇光院太上天皇は後花園天皇の父のためであり、足利義満の尊称;鹿苑院太上天皇は後小松天皇と伏見宮貞成親王の父で後花園天皇の祖父のためであるが、足利義持(4代将軍)が辞退している。但し、相国寺過去帳に足利義満をさして「鹿苑院太上天皇」とあり、臨川寺の位牌にも「鹿苑院太上法皇」と記されている。

    (4)第4王朝(大室または毛利王朝?)
    明治天皇(大室寅之祐;後醍醐天皇第11番目の皇子満良親王の末裔ではなく平民の子)
    →大正天皇(子種なし)
    →昭和天皇(長州藩毛利家から西園寺家へ婿養子の西園寺八郎の子、又は明治天皇の子)
    →今上天皇
    ① 孝明天皇─睦仁親王(本来の明治天皇)
           ┃
          昭憲皇太后
          明治天皇(大室寅之祐)
           ┠────────大正天皇
          柳原愛子
     明治天皇(大室寅之祐)にとって、短命だったとは言え、「睦仁親王」は孝明天皇より皇位を継承した「先帝」です。その先帝の妻だったからこそ、「皇太后」なのです。睦仁親王の正妻だった昭憲皇太后は終生、御所内に「幽閉」されたも同然であった。そして、柳原愛子こそが、明治天皇(大室寅之祐)にとっての本来の「皇后」だった訳です。
    ② 明治天皇すり替えの証拠
     伊藤博文が自ら隊長となつた長州力士隊に、かつて吉田松陰が南朝再興の理想を託した一人の少年、奇しくも睦仁親王と同年の16歳になる「大室寅之祐」なる者がいて、吉田松陰の命を受けた木戸と伊藤が掌中の玉の如くして養育し、孝明天皇と睦仁親王を暗殺した後で、睦仁親王とすり替えたというものである。
    ▼即位前(睦仁親王時代)
     睦仁親王(京都明治天皇)は幼少の砌(みぎり)、裕福であったので種痘を受けた。故に疱瘡(天然痘)には罹っておらず、顔面に「あばた」は無かった。 睦仁親王は、右利きだった。 御所の女官達の中での温室育ちであった睦仁親王は、充分に教育され帝王学を学んでいた訳であり、当然躾も厳しかった。故に、左利きになる訳が無く、ひ弱で喩えは悪いが女癖も悪くは無く(育ちが良かったので)、右利きであった。 睦仁親王は幼少より「虚弱体質」で、毎年風邪をこじらせていた。又、16才になっても、宮中で女官と一緒に「遊戯」にいそしんでいた。 睦仁親王は16才になっても、書は「金釘流」、つまりは「下手」であった。 又、政務にも無関心であった。 元治元年(1864)年7月の「禁門の変」の際、砲声と女官達の悲鳴に驚いた睦仁親王(当時13才)は、「失神」した。  即位前の睦仁親王に、「乗馬」の記録は残っていない。つまり、馬には乗れなかった。
    ▼即位後「明治天皇(大室寅之祐)時代」
     明治天皇(大室寅之祐)は、家が貧しく野生児だったので、2歳の時、痘瘡(天然痘)に罹った。
    その結果、口の周りに「あばた」が残った。 その為、明治天皇は自身の写真を撮られる事を好まず、わざわざ、キヨソーネに描かせた「肖像画」を写真に撮らせて「御真影」とした。 又、「あばた」を隠す為に、髭を生やされた。 明治天皇は、左利きだった。 寅之祐が4歳の時、母親が離婚した為にかまってあげられる余裕が無かった結果として、左利きとなった。 又、維新後の天皇は良い言葉で言えば艶福家であった。 明治天皇は、鳥羽伏見の戦の際、馬上豊かに閲兵した。 明治天皇は威風堂々、馬上から近衛兵を閲兵し、自ら大声で号令した。 体重24貫(約90Kg)の巨漢で、側近の者と相撲をし、相手を投げ飛ばしたと言う。 明治天皇は、書が「達筆」であった。 又、学問にも熱心であり、教養豊かであった。

     結論として、「万世一系」ではない現天皇家は、仮説の第3王朝 [足利王朝;古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系末裔] とは断絶して、昭和天皇の父である明治天皇、または西園寺八郎出自の長州藩毛利家による仮説の第4王朝(大室または毛利王朝?)となっている。
     従って、戦後臣籍降下した仮説の第3王朝;足利王朝の伏見宮親王系11宮家の皇族復帰と天皇即位により、仮説の第3王朝 [足利王朝;古代イスラエル統一王国(ソロモン王・ダビデ王)Y染色体DNAの百済系末裔] の皇統復活が望まれる。
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■Fuji:

ではまたね。